函館本線(山線)傑作選

私が山線で走行写真を試みたのは昭和46年3月7日。築港でC62 2 C62 3のゴールデンコンビの出庫準備を写真に収め、
その足で小樽よりバスに乗り、撮影地探し、吹雪で視界の悪い中、見えぬ線路を捜す。山線と国道5号線があまり接点が
無いことなど、当時の私には知るよしもない。途中、稲穂峠の上り坂で下に見えた線路脇にマニアの姿を確認しつつも、降り
ることができず、結局。倶知安まで乗り通してしまい、駅に着いた時にはC62の煙は、すっかり消えていた。このままでは帰れ
ぬと、機関区へ、二つ目の69624が構内排雪を終え休息を取るところ・・・こちらはギリギリ、セーフ!

昭和46年9月15日。札幌発6時57分。524Dに乗る、この列車の多くの人がSLファンと言っていいだろう。小樽駅から乗った
本州から来た人と記念切符を交換した。(小樽駅のと)。鹿児島から来た人に記念切符を2枚売った。(100円余計にくれた)。
SLファンが所々でカメラを構えているのが見えた。倶知安駅にて、急行らいでんと併結するため28分の停車。日本一うまい水を
飲む。機関区に行き二つ目96を写した。上目名駅にて。下車して、すぐ許可をもらいコワイトンネルへと向かう.コワイトンネルは
危険なので、やめた。そこで僕達は、すぐ横の崖で写す事にした。(ニセコ1号はバッチリ写した)。ニセコを写し終え、長万部に向
かった。上目名発14時14分。122レ(D51が牽いた)。混雑で、ついには窓から乗り降りするまでになったのです。長万部駅にて。
「おーい!そこの赤帽、見えないぞ!」。「じゃまだ!どけ!」など景気のいい声が飛んでいる。C622は前にニセコと書いたヘッド
マークを付け、ファンのシャッターを浴びていた。16時43分。急行ニセコ3号発車。蛍の光の演奏を後に、C62は戻らぬ旅に出た。
                                                        
                                                           昭和46年9月15日 撮影日記より

いざ!上目名へ 山線のメッカを初めて訪れたのはニセコのさよなら三重連を3日後に控えた昭和46年9月12日。新聞配達の
バイト銭で買ったカメラバッグ、三脚を持ちそれなりにマニアらしい格好で上目名へ挑んだ。駅に着くと、まず撮影許可書を記入。
他の大人のマニアに目をやると大型のカメラバック、スリックやベルボンの三脚。まるで日本カメラショーの会場に来たよう。
彼らから少し離れた場所でカメラを構えることに、バッグから三脚を取り出し、脚を伸ばそうとカチャ、カチャ、ポロ「えーっ脚がもげた」
C62重連の姿を見ることなく三脚はカメラバッグの中にしまわれてしまった。

左上 仁木駅でD51の牽く普通列車と交換。 上中 比羅夫駅でD51重連の牽く普通列車と交換。D51710は今だ切り詰めを
逃れ標準デフ装備、後に追分で会った時は切り詰められていた。 右上 ブォーッ シュルシュル バッバッバッ トトントトントトン
 C62のドラフト音は別物だ。 左下 後追いをしたが長編成でC62の姿は消えていた。
下中 三脚が壊れたショックか?今度はシャッターが切れず後追いのみの写真になった。 右下 曇天の一日だったが帰路の
倶知安で雲の中から羊蹄山の頂上が顔を出した。テンダー上では整炭作業中。まだ先は長い。  昭和46年9月12日撮影